文化・芸術

2016年1月 2日 (土)

【書評】15歳いのちの日記作者  逝去40年

 中学時代、教室におかれていた書籍の中には、コバルト文庫のこの書籍があった。この作者が逝去した、昭和51年のきょうから、40年になる。入院中に書いた日記が活字になり世に知れ、かつ数か月後に亡くなるとも思っていなかったはずである。
 手記の最期の場面は、いまだに記憶している。昏睡から目覚め、起き上がり、その後、命を終えた流れは、子ども心に残っている。当然のことながら日付まで焼き付いている。

 それから、40年過ぎ去った。書籍から判断される薬物での治療法、当時の白血病の意識などがうかがえ、1970年代を振り返るよい資料となっている。骨髄移植が登場するのはこれより先、医学の進歩は、数年経てば変わっているほど、不治の病が、治癒するようになりはじめた。しかし、難病といわれる病に、闘っている当事者や関係者がいること、闘病記が感動物語で終わらせず、自分なら何ができるか、自分だったらどのように向かい会うかを考えるきっかけにできれば、活字として残した目的が達成できる。

 はじめがあれば、終わりが必ずある。日々をしっかりと生き、無理せず無駄にせずに、そして無理なくを目指して過ごす、これがこの書籍から受けたものである。
 

2015年5月 1日 (金)

【書評】15歳いのちの日記作者 生誕五十五周年

 中学生のころ集英社のコバルト文庫が教室の本棚、クラスメイトの間でよく読まれていた。その中でいくつか《闘病記》が出版されています。
 昭和50年代は、ほとんど完治が難しい、白血病・脳腫瘍に罹患した少年の書き残した日記、メモなどを没後まとめて生きた証として、同年代には命の大切さを伝えるよい指針となっています。

 当時の本は絶版になり、いくつかの闘病記は忘れ去られようとしています。その中で、今でも学校の施設名として名を残す闘病記の主人公がいます。昭和54年に出版した《15歳いのちの日記》(集英社;現在は絶版 中古本がAmazonで購入できます)の元になるノート等に入院生活を記録した作者、飯田公靖氏です。出身校のテニスコートには名前が残っています。

 本年(平成27年)は、彼の生誕55周年。かつ、闘病記を書くきっかけになった病院へ入院し40年になります。日記の書き始めは5月15日になります。
 家族(母親)が書いた手記などを読むと、本人には《告知》されなかったようで、当時の白血病の感じ方考え方が見て取れます。不治の病で、原爆に遭った人たちに出る病気だと。それでは闘病中、何の対症療法がなかったかといえば、文中に薬名が登場し《化学療法》が行われ、一時的に良くなり退院しています。

 闘病記の手記・家族の記録を読むと、つらい・悲しい・感動的だという側面で終わりがちです。それでは、罹患した当事者、家族はどのようなつらさがあり、負担があるのかまで深く考えることが必要です。そもそも闘病記は、薄っぺらな感動を欲しがる人々へ読ませようと書いたものではありません。
 自信がその立場になった時、告知が必要それとも伏せるかか、再発して看取る場合になった場合など、闘病記は生と死とはなんぞやを見つめる機会になるでしょう。

 

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